看護学の知識体系を構築するための質的研究方法を用いた学位論文指導プログラムの作成リーフレット

平成21年度~平成24年度 基盤研究B
萱間 真美(主任研究者), 麻原 きよみ, 太田 喜久子, 大川 貴子, 木下 康仁, グレッグ 美鈴, 竹崎 久美子, 山本 則子


はじめに

このリーフレットは、看護学の領域で質的研究方法を用いた博士論文を作成する大学院生と、作成を指導する指導教員および論文審査にあたる審査員に対して、学位論文審査委員会の構成と論文の評価項目を示すことを目的として作成しました。

質的研究方法は、看護学の研究方法論としてすでに広く普及し、学位論文も多く作成されています。しかし、自然科学の研究モデルを用いることの多い関連領域においては、研究方法論としての理解が十分に進んでいるとは言えません。学位論文審査は、大学院が設置されている大学内および大学外の審査員によって審査され、学位授与の是非が検討されます。伝統的な研究方法論と比較すれば未だ方法論やその評価基準が確立されていない質的研究方法では、審査のプロセスにおいて論文そのものの内容よりも、方法論の是非について審査員の意見が一致しないことも珍しくありません。

このような状況を踏まえて、国内外の詳細な関連文献の検討と、質的研究方法が我が国に先行して用いられ、理解が進んでいる北米における専門家へのヒアリング調査を行いました。このことにより、我が国の質的研究方法を用いた学位論文の作成と審査のプロセスにおいて、その質を担保するための標準(スタンダード)となりうる評価のためのガイドラインを提示することが可能となり、研究方法論として歴史が長くないことによる不利益を緩和し、研究そのものの価値に対する正当な評価を得ることが期待されます。

この評価基準は、博士論文という成果の評価のみにとどまらず、教育内容を明確にし、論文作成のプロセスで活用しうる教育プログラムとしての適用が可能です。このリーフレットは、評価基準を説明すると共に、教育プログラムとしての活用方法を提案し、博士論文指導における今後の活用に資することを目的としています。

Ⅰ.審査委員会構成のガイドライン

質的研究方法を用いた看護学の学位論文評価では、審査委員会をいかに組織し、どのような活動を行うべきかが重要になると考え、審査委員会構成のガイドラインを作成しました。審査委員会構成は各大学院の状況によって異なるが、原則として内部審査委員と外部審査委員から構成されることが望ましいといえます。内部審査委員は、審査対象となる論文が提出された大学院に所属する者をいい、外部審査委員は、審査対象となる論文が提出された大学院以外に所属する者をいいます。外部審査委員は、当該大学院を有する大学以外に所属する者あるいは同一大学の別の大学院に所属する者をいいます。これらの審査委員となる者の資格については、各大学院の規定によります。
審査委員会の活動内容の評価項目は、以下のとおりですが、重視していることは、①審査委員会のメンバーに研究領域および質的研究方法の専門家が含まれること、②学生の希望が反映されること、③最終提出された論文のみの評価ではなく、研究計画作成からの関わりが必要であること、④審査結果だけではなく、審査プロセスも重要となることです。

審査委員会の組織と活動内容

審査委員会の概念 審査委員会は、原則として内部審査委員と外部審査委員から構成されていることが望ましい。ここでいう外部とは、大学、研究科の双方をさす。
評価項目
研究領域の専門家が審査委員会メンバーに含まれている
質的研究方法の専門家が審査委員会メンバーに含まれている
審査委員選定に関して学生の希望が反映されている
外部審査委員選定に関して学生の希望が反映されている
外部審査委員選定の基準が存在する
研究計画作成に審査委員のいずれかが関与している
研究計画において論文の評価基準が学生に開示されている
研究計画の遂行において審査委員をも含む複数指導体制である
研究成果の評価をする際に質的研究方法の評価が行われている
審査のプロセスの説明責任が果たされている
審査のプロセスで学生の権利が擁護されている(不服申し立てのためのルートが確保されている)

 

Ⅱ.論文評価のガイドライン

論文評価のガイドラインは、質的研究論文を読んで評価をするときに、「はじめに」から「考察」までの流れに沿って、著者らの行った研究活動の要点を振り返り、吟味する手がかりになります。

基準1から基準4までは、主に「緒言」にあたる部分に内容が含まれています。研究活動に取り組む以前に、どのように研究上の課題を捉え、それをどのように研究の問い(research question)に落とし込んだのか。それはその学問領域において適切なものであるか(基準1、基準2)。その研究上の問いに関する文献を丁寧に検討したか(基準3)、そして、この研究活動がその学問領域において一定の重要性を持つか(基準4)を吟味します。

基準5から基準9までは、主に「方法」にあたる部分を読むと評価できるでしょう。用いられている研究方法は根拠に基づいて選択されており適切か(基準5)は、グラウンデッドセオリー法、現象学的アプローチ、エスノグラフィなどの方法上の特徴を踏まえて選択がされているかを吟味します。その方法について十分に学習し正しい理解に基づいて用いられているか(基準9)も判断が必要です。データ(基準6)や研究参加者(基準7)は研究の問いに適合したものである必要があるでしょう。研究の倫理性(基準8)は論文全体を読んで判断すべきものですが、倫理的配慮に関する具体的な手続きは主に方法の部分で読み取れるでしょう。

基準10から基準16までは、主に「結果」に相応する部分が該当します。質的研究では何よりもまず作られた概念やテーマが十分な分析に基づいており(基準12)、概念やテーマをめぐる論文の記述が新たな知識を生み出しているか(基準14)が問われると思います。その分析がデータを根拠としているか(基準13)も、論文中の記載で判断されるでしょう。結果が研究の問いに対応していること(基準15)、結果が論理的に記述されていること(基準16)も、結果の項を読むことで判断されます。質のよいデータが収集されているか(基準10)については、論文の紙面が限られている場合には判断が困難かもしれませんが、論文に関する発表会や質疑応答で窺い知ることができるでしょう。生成された概念等から窺い知ることもできます。また、分析の厳密性(基準11)については、具体的な手続きが「方法」の項に書かれていると同時に、真実性(trustworthiness)や信用可能性(credibility)といった内容は、「結果」に書かれた内容やその書き方から立ち現われるものでもあります。

最後に、基準17と基準18は、「考察」から判断されるでしょう。自分の研究結果が学問領域にどのように貢献するのか、どのように位置づけられるのか(基準17)や、研究の限界は何か(基準18)等の考察からは、自分の行った研究活動の意味づけを考えることができるという能力が評価されます。

最後の基準19では、論文全体から、私たちの学問領域である看護学に貢献する研究か、が総合的に判断されます。

論文評価基準項目

  基準 判断の手がかり
1 研究課題が適切である(課題の設定) ・文献検討に基づき、該当する研究領域の知識発展のために適切な研究課題が立てられている
2 研究の問いが適切である(問いの設定) ・具体的な研究の問いが、研究課題に対して論理的に整合している
3 十分な文献検討が行われている ・該当する研究領域について文献を十分に広く探索している
    ・該当する研究領域の文献の長所、短所を理解し、領域における今後の研究課題が的確に考察できている
    ・今回の研究課題・研究上の問いを過去の研究領域の蓄積の中で適切に位置づけられている
4 研究の重要性が明確である ・文献検討に基づき、今回の研究の問いに該当する研究領域において重要であることが論じられている
5 研究方法の選択理由・適切性が明確である ・今回の研究の問いに対して、今回とる研究方法の選択理由が適切に述べられている
    ・哲学的基盤を理解している
    ・研究目的と研究方法に一貫性がある
6 研究の問いに答えるために適切なデータである ・研究上の設問に照らして適切なデータはどのようなものかが説明されている
    ・実際に適切なデータを収集している
7 研究参加者の選択基準が適切である ・研究参加者の選択基準が適切に述べられている
8 研究が倫理的に行われている ・研究参加者への倫理的配慮の内容が適切に述べられている
    ・研究参加者の権利擁護の方法が明確である
9 研究方法を十分に理解し、適切に使っている ・方法を理解し、研究のプロセスを適切に記述している
    ・分析のステップを明確にしている
10 質のよいデータが収集されている(Defense時の提示を含む) ・データにリアリティがある
    ・データの信用性が確保されている
    ・引用されているデータが研究しようとしている現象を良く表している
11 結果の厳密性を確保する方法が書かれている ・厳密性の概念を明確に操作している
    ・メンバーチェッキングを実施し、確実性が担保されている
    ・方法論のセクションに適用性や確証性などを得る方法について書かれ、実施されている
    ・分析の真実性に関する評価方法が記述されている
12 十分な解釈と概念化が行われている(深い分析) ・インタビューの質問に沿った分析のみではなく、それを超える分析、解釈が行われている
    ・現象に対して最初に持っていた問いのほとんど全てに答えを出している
13 結果がデータで支持されている ・テーマやカテゴリーがデータから作られている
    ・結果、考察がどのようにデータでサポートされるかが示されている
    ・データの解釈が納得できる
    ・データの引用箇所と量が適切である
    ・データと引用、解釈の間のバランスがとれている
14 新たな知識を生み出している ・現象について異なる見方を提供している
    ・結果に新たな発見がある(創った概念が新しい)
    ・新たな洞察が行われている
    ・これまで考えていなかったような新しいものに気づいている
15 結果が研究上の問いに対応している ・結果が研究の問いに対応している
    ・結果が目的に対応している
16 結果が論理的に記述されている ・他の人が結果を使えるように、結果が明瞭に理解できるように書かれている
17 自分の研究結果から導かれる実践への示唆がについて、記述されている ・今回の研究からの知見の位置づけが適切に述べられている
    ・自分の研究結果を誰に使ってほしいのかを明確にしている
    ・実践、研究、教育への示唆が述べられている
18 自分の研究の限界について、記述されている
19 看護学に貢献する
定義(説明)が必要:注釈:「研究課題」「研究の問い」「研究の領域」「適切なデータ」

Ⅲ.評価基準の博士論文指導への適用

論文に関する評価項目は、すなわち論文が達成しているべき項目を示しています。そのため、この項目のそれぞれについて、具体的な取り組みの方法を指導することにより、博士論文を書こうとする大学院生が評価基準を満たす論文を作成することを援助することが可能です。

博士論文作成のプロセスは、研究方法を選択する前提となる基本的知識の提供を目的とした知的準備段階を経て、実際に研究するテーマを確定した後の個別的な指導のプロセスへと至り、個別指導の期間は長期にわたることが特徴である。また、論文提出後には審査委員会による審査および論文修正のプロセスがあります。

これらのプロセスの中で、評価項目は下記のように教育に用いることができます。

知的準備段階における適用

① 博士課程における質的研究方法を用いた論文作成のための授業でこれらの項目を網羅するカリキュラムを作成する。
② 質的研究方法を用いた研究論文のクリティークに関しても、評価項目を指針として指導する。

計画書および論文指導における適用

③ 個別の論文指導に際して、計画書の作成および論文作成の段階で、現在どの項目について取り組んでいるかを明らかにするために用いる。さらに、次にどのような作業に取り組むことが必要かという見通しを立てる。

審査における適用

④ 論文作成後、審査の準備において、評価項目を活用してシミュレーションを行う。
⑤ 論文審査における評価項目、チェックリストとして用いる。
⑥ 論文修正のポイントを確認する際のチェックリストとして用いる。

これら教育への活用に関しては、授業時間が多い課程、個別指導が主となっている課程など多様な環境が想定される。上記のどの方法が指導に適しているかは指導教員と指導を受ける者があらかじめ相談のうえ、合意しておくことが必要です。

なお、評価基準の教育プログラムへの適用に関しては、今後その実態や効果についての実証的研究を進める予定であり、実際のそれぞれのパターンについてどのようなプロセスをたどるかということやアウトカムは今後検証する予定です。


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