査読のプロセスがわかっていなかった
査読委員
- 最初は査読のプロセスややりとりの量もわからなかった。(ID3)
査読者を探す苦労がある
編集委員長
- 査読者は多いが特定の方法論に慣れた査読者を探すのが困難。珍しい方法論では最初の時点で誰ができるのかわからない。そういう場合は質的研究に詳しそうな人を選ぶ。編集委員長と編集委員を兼ねているので、自分が編集委員として受け持った話を編集委員として伝えて対処している。(ID10)
- 専任査読委員に選出する際に、査読可能な研究領域と方法論のリストにチェックを入れてもらう。多くの人が広く査読可能となっているので、査読者を選ぶ時に困らない。(ID10)
- 質的研究の研究者が多いが、論文に合わせて領域に絞って探すと少し苦労する。その方法論の経験者を探すようにはしているが、必ずマッチしているとは言えない。(ID11)
編集委員 - その分野と質的研究の両方に詳しい人はあまり居らずどちらかに偏る。(ID1)
- 論文担当の編集委員がついて、査読者を会員名簿から探して当たるのが最初の作業。会員の大まかな担当分野はわかるが、得意とする研究手法はわからないのでホームページなどで探している。(ID8 )
査読から掲載、不掲載決定までの期間と方法で困った
編集委員長
- 質的研究の経験の有無など関わらず機械的に投稿論文を振り、編集委員は査読コメントの内容を確認することもなかった。6、7回査読をし、投稿者自身が取り下げる状況が多いため、編集委員長と副委員長でプライマリーチェックをしている。(ID9)
- 査読は原則2回までとはしているが、1回修正されるとさらに査読者から質問が出て来て最大4回査読をしたこともある。(ID11)
編集委員
- 編集委員会ではデータ収集の段階からで好ましくない時など、不採用にするならば修正を出す前に判断するようにしているが、質的研究はデータの数では判断がつかないことがあるので見極めが難しい。(ID7 )
- 質的研究では論理構成が大切。テーマの置き方・図表もしくは結果の中における小見出しの作り方が明確ではないケースは論理に欠陥がある可能性が高い。修正できない場合もあるが、一度はチャンスあげようと思い、早めに不採択の結論を出せない。(ID7 )
査読委員
- 3回目以降の査読で「掲載不可」になり、投稿者も気の毒でどう対応すれば良いか困った。(ID3)
- 編集委員には投稿を受理していいのか、査読しても改善が難しそうな場合などに相談するが、そもそも相談していいものという認識がない。(ID5)
新規性や原著性をどう判断するかわからない、評価できない論文がある
編集委員長
- 原著と資料の棲み分けや、資料として採用するレベルも判断が難しい。(ID10)
- 事例研究の新規性を判断することが難しい。健常者の立場からケアを見つめてみましたという、その人の体験が記述されているものなどを通していくと、多くの論文が通ることになってしまう。(ID10)
- 編集委員会として、原著論文の基準をクリアにしたほうがいいと思う。(ID11)
編集委員
- 日本語を正しく使ってほしい。カテゴリーが不整理で、体言止めで止めてあったり抽象度の水準がばらばらであったりすると困難だなと思う。(ID7)
査読委員
- 査読ガイドがあって、この論文に臨床的な意義があるか、看護学を発展させる意義があるか審査するよう言われてもわからない。同じ論文でも1回目はOKなのに2回目はNOとなることもある。(ID2)
- どのように解釈したのか、説得力があるかという点を一番見るべきだと思うがしっかり書けてない論文では、説得力という点が判断不可能なことが多い。(ID1,2 編集委員と査読者の対象者のデータから)
- とても言葉が吟味されて作り込まれた表であるのに、一見何が重要なことなのかわかりにくい論文がある。質的研究の意義を評価するのは難しい。(ID2)
馴染みのない方法論や提示方法の査読が困難
編集委員長
- 質的研究の方法論が多いので、個々が勉強会に出て編集委員会に持ち帰るがそれでも方法論がわからないことがある。(ID4)
- 掲載プロセスの異なる実践報告と研究の違いを会員に理解して貰うこと。(ID4)
- 査読で困るのは、方法論に見合った結果や図表がない場合。個々の方法論の必要十分条件が分かりにくくなってきている(ID4)
- 編集委員長としては、専門外の領域や方法論だった場合は知識がないことによってコメントをできないので「査読者が指摘してる通り」と言わざるを得ないことで苦く感じる。(ID5)
編集委員
- 尺度開発など量的研究では決まったプロセスがあるが、質的研究は「抽出したカテゴリーを確認してもらった」と書くだけでそのあとの仕組みがない。(ID7 )
- 概念分析の投稿が最近増え目的が不明確なこともあり判断が難しい。概念分析の属性がその対象の特性に合った表現になっていて、他の疾患や全体と比較してどうなのか、などが考察で書かれているかが判断の基準になると思う。(ID8 )
査読者
- 精通していない方法論、提示の仕方やトピックにあたると、コメントを沢山してしまう。反対にコメントを控えることもある。正しいことが書いてあるのか、自分が知らないだけか分からず自信がない。(ID3)
- 基盤となる理論や背景があるので、自分が経験したことがない分析方法は限界を感じる(ID5)
- 2週間の限られた査読期間では書籍を購入して理解する時間も足りない。(ID5)
その他
著者と査読者の間で齟齬が生じやすい/査読者の意図がなかなか伝わらない
編集委員長
- 量的研究よりも確かに質的研究の方が、著者と査読者の間で齟齬が起きやすく、査読者の意図が伝わらず困る。(ID4)
- 査読をする上での共通言語が少ないと感じる。(ID4)
編集委員
- 再投稿を推奨していても社交辞令と取られて再投稿してこないことも多く、同じものが別の学会誌に投稿されていることがある。査読に時間をかけているのに無駄になったと感じることがある。(ID8 )
- 再投稿を推奨しているコメントがあれば、再投稿していいことを学会員に周知していかないといけないと感じる。(ID8 )
委員によって判断基準が異なる/委員同士で意見が異なる
編集委員
- 編集委員が原著から資料へ下げるよう著者に戻したのに、資料として返ってきた時に同じ編集委員が却下することが多い。人によって判断基準が異ならないようにしているが、難しいこともある。(ID7 )
- 対象者が3~4人と少ない場合は質的研究より事例研究ではないかと議論になる。5名以上で新規性があれば駄目とは個人的には思わない。査読委員の指摘があれば編集委員としては編集委員長に相談する。(ID8 )
査読のプロセスでの限界を感じる/査読の限界を感じる
編集委員長
- リサーチクエスチョンの絞り込みが不十分で、何についての意味内容を抽出しているのか不明確な、何でもありな分析が増えている。査読のプロセスを通して投稿者に質問を投げかけ論文を洗練させていくことはできるが、看護学の総合的な研究力の未熟さを感じる。(ID9)
- カテゴリー化というよりもデータをまとめ上げるような感じになっていたり、カテゴリー化も抽象度が大きくなるとデータの分類作業になっていたりと、ぼんやりとした感想文のようになっている論文は、査読のプロセスでも何とかならないものが多い。(ID9)
- 査読者も研究者もカテゴリー化することが質的研究だと思い込んでいる。ページ数の制限がある上に一覧表がないと駄目と言われ、記述スペースが少なくなり良い語りのデータが削られてしまう。最後はきれいに整うが現象ではなくカテゴリー化の説明になっている。(ID9)
査読委員
- 査読コメントがうまく書けず、結果的に伝わらなかったと著者の修正を見て思うことがある。(ID3)
- 投稿者に査読者のコメントの意図が伝わりにくいと思う時がある。編集委員会が表現を変えて投稿者に説明したことがあった。(ID5)
- 査読する立場になった時は、どこまで厳しく自分が感じたものを述べるべきなのか、わからなかった。(ID5)
役職として動く前の全体像の把握が困難
編集委員長
- 委員長としてのトレーニングは正式なものはなく、また引き継ぎもほとんどなく全体をつかむのには時間がかかった(ID11)
査読の方向性
編集委員長
- 「全然視点が違う」「やる意味がない」という査読コメントに対して、自分が(編集)委員としてコメントを付けて編集委員長に戻したことが他の学会誌ではあった。(ID11)
- 査読のコメントがあまりない時も、細かな「てにをは」や論文作成のお手前への指摘もそのまま返している。コメントが多い査読委員の場合はその後の査読でも指摘する点が多く、その委員のコメントに沿って修正して貰うようになってしまっている。(ID11)